お米専門店 上野米穀店
太鼓台 うえのオリジナル仕立て米 太鼓台 うえのオリジナル仕立て米

ついに完成 うえの完全オリジナル仕立て米!! 10/1〜限定販売

太鼓台 うえのオリジナル仕立て米

太鼓台 うえのオリジナル仕立て米

毎年、10月14・15日の両日、枚岡神社にて行われる、『枚岡神社 秋郷祭』には、20数台の布団太鼓の奉納を見ようと、
大勢の見物客が訪れます。東大阪市の祭りの中では、最大級といっても過言ではないでしょう。
の枚岡祭に心奪われてしまったのは--------私が20歳の時でした。
元々、地元民でなかった私は、結婚を機に、枚岡神社より徒歩3分の所に引っ越して来ました。
妻は、思いっきり地元の出身で、妻の兄(義兄)は、地元青年団の団長もさせていただいたし、自作の「トンボ」や木彫りも作ります。太鼓台をこよなく愛す人です。

約2tの布団太鼓を42名前後で担ぎ、地域をねり歩いた後、神社境内でくり広げられるスケールの大きい担ぎ合いを見て、「こんなすごい祭があったのか...!!」と一瞬にして心奪われてしまったのでした。

太鼓台 うえのオリジナル仕立て米
太鼓台 うえのオリジナル仕立て米
成4年の御堂筋パレードで太鼓台デビューさせて頂き、その後 年1回の秋郷祭等々に、参加させて頂きもう31年目になります。
地元消防団にも在籍し、地域のお手伝いを微力ながらさせて頂いております。
ところが、実家の米酒商を継いでいた義兄が志半ばで突然他界し、その後を私が商売させて頂く事になりました。
業界に携わっているうちに「何か、自分だけのオリジナル米は作られへんか?」と思い、地域密着型の商売をしていた祖父・父・兄の意志を受け継ぎ
「そうや!自分の好きなもん 地元の方に喜んでもらえるもんを作ろう!!」と今回の企画を思いついたのです。
構想2年。東大阪市のみならず、全国各地の太鼓台好きの方々、どの地区の方にも楽しんで頂こうと写真にせず、イラストで優しい雰囲気のデザインにしました。

太鼓台 うえのオリジナル仕立て米
太鼓台 うえのオリジナル仕立て米
心の中身ですが、おまかせ下さい!!
米屋ですから、下手なもんは入れられません。この時期にあったおいしい新米を厳選。
同志の仲間が食べて頂く事を考えて、良質の玄米を仕入れ、自社精米工場にて自家精米しています。
(今年は腰の調子も悪いし、台の横 歩いとこかなぁ)と思っていても、交代してくれの合図である手が上がれば、(俺が入ったら、楽になるやろか...)と、ついつい担いでしまう。
熱い祭男達に、ぜひぜひ『太鼓台』米の事を、ご友人やご家族と話題にして頂ければ幸いです。

店主
太鼓台 うえのオリジナル仕立て米
枚岡神社・秋郷祭
各年10月14日・15日と五穀豊穣を感謝して、布団太鼓台20数台の宮入、地車3基の曳行が行われ、それぞれの地区において勇壮な、かきくらべが披露されます。
かけ声の「ちょうさ」とは、太鼓と言う意味です。枚岡神社は明治4年(1871)に官幣大社に列せられた日本最古の神社の一つです。

太鼓台の歴史
発祥起源については、いろいろな言い伝えがありますが、平安時代または鎌倉時代の説が一番有力に伝えられています。
文献等を調べた結果では、江戸時代後期の文政年間(1818〜1830)の頃からの記述に、太鼓台に関する内容が確認されています。
その時代は現在の様な「太鼓台」という呼び方ではなく「神輿(みこし)太鼓」と呼ばれていたようです。
太鼓台の起源は京都祇園祭りの「かき山」にそのルーツがあるとも言われていますが、時代の変遷と別子銅山の開坑などによります。
地域経済・文化の発展に伴って派手で多彩な変化を遂げてきたものと言えます。
以前は、祭礼の時、みこしに供奉する山車の一種として信仰を対象にした神輿渡御のとき、その列に参加して厳かに供奉し、豊年の秋を感謝して氏神に奉納していたもので、太鼓台が現在のように巨大化し、祭リの主役になっていったのは明治時代の中期以降と言われています。
太鼓台はそれぞれの地区毎の道路事情や、宮参りのルートに対応した形状サイズが取られてきたため、太鼓台として確定された規格はありません。

※写真は平成17年、宝箱青年団 枚岡神社秋郷祭写真集より抜粋させて頂きました
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小太鼓まつり うえのオリジナル仕立て米

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